今、世界はAIによる水破産の危機に直面しているという。
地球規模での水資源の使い込みは、自然界が再生できる範囲を遥かに超えてしまった。
そう、AIはとても喉が乾くのだ。


水をめぐるこの問題に我々はまだどこか他人事の感覚を持ち、自分達だけは大丈夫だと「正常性バイアス」に頼りがちだ。
しかし現実は、静かに、そして容赦なく進行している。
アフガニスタンのカブールでは、近代都市で初めて完全な水枯渇に直面し、メキシコシティでは地下の巨大な帯水層が過剰利用された結果、地盤沈下が止まらない。
中央アジアのアラル海の消失も、わずか数十年前に「20世紀最大の環境破壊」と呼ばれたばかりだが、今は地球の各地で同様の事例が広がっている。
1990年以降、世界の大型湖沼の半分以上が水量を失い、主要地下水脈も著しく減少し続けている。
この危機の背景には、共有資源が個人や企業の利益のために使い尽くされる「コモンズの悲劇」がある。
例えばコロラド川の水利をめぐり州同士が争い、分配協定そのものが「砂上の楼閣」となっている。
分配の不平等も深刻で、一部の巨大企業や富裕層が大量の水を消費し、一般市民には節水のみが強いられている現実がある。
SNS には「私たちだけ生活を制限されている」との不満の声がうず巻く。
さらに重要なのは、日常生活で気づかない「仮想水(バーチャルウォーター)」の存在だ。
食肉や工業製品などを生産する過程で消費される膨大な水は、時に「水資源の豊かな国」から「乏しい国」へと「水の輸出」という歪んだ構造を生み出している。
加えて、生成AIの普及とともにデータセンターの冷却水消費量が爆発的に増大し、そこにも新たな懸念がある。
「水の危機」を国連が警告すると、「危機感をあおっているだけだ」という懐疑的な意見や、「技術革新で解決できる」という楽観論も聞こえてくる。
しかし実際には、水の利用可能量は減り続け、食料価格は高騰し、水をめぐる争いも頻発している。
「潤沢な水」の時代には、もう二度と戻れない可能性もある。
皮肉なのは、この「水破産」の解決に期待されるAI自体、膨大な電力と冷却用の水を消費し、無限ループのように資源消費の循環参照に陥っている点だ。


日本は水資源が豊富だと言われているが、いつ火種が飛び火しないとも限らない。
過疎地のソーラーパネル設置のような不毛なその場限りのエコにならないこことを祈るばかりだ。

