ビジネスの現場では今、ある種の「敗北感」を伴う問いが繰り返されています。
自社の製品やサービスをAmazonやGoogleといった巨大プラットフォームに乗せてしまっていいのか、という切実な悩みです。
これは単なる販売経路の選択ではなく、自社の運命を他者に委ねるかどうかの瀬戸際と言えます。



かつてトイザらスがAmazonと提携した際、彼らはそれを効率的なオンライン展開だと信じていました。
しかし、結果として待っていたのは「ホールドアップ問題」でした。
これは、特定の取引相手に依存しすぎた結果、後から不利な条件を突きつけられても拒絶できなくなる「身動きの取れない状態」を指します。
トイザらスは顧客との接点を奪われ、膨大なデータはプラットフォーマーの糧となり、自社は数ある出品者の一つという「コモディティ(代替可能な日用品)」に成り下がってしまったのです。
このような事態に人々が抱くのは、長年築き上げたブランドが「下請け化」していくことへの強い怒りです。
特にSNS上では、「プラットフォーム税」とも呼ばれる高い手数料や、アルゴリズム一つで検索順位が落とされる理不尽さに対し、「デジタル小作農」という言葉でその搾取構造を批判する声が根強くあります。
また、中小企業だけでなく大企業ですら、自社の顧客が誰であるかさえ分からなくなる「顧客関係の切断」に対し、底知れない不安を感じています。
この不安の正体は、心理学でいう「損失回避」のバイアスにも通じます。
プラットフォームに参加すれば、一時的な売上という「利得」は得られますが、不参加を選んで競合に顧客を奪われる「損失」を過度に恐れるあまり、不平等な契約に飛び込んでしまうのです。
さらに、一度ネットワークが巨大化すると、利用者が増えるほど利便性が高まり、さらに利用者が増えるという「ネットワーク効果」が働き、勝者がすべてを総取りする「一人勝ち」の状態が生まれます。
しかし、厳しい現実も存在します。
それは「プラットフォームによる模倣」です。
プラットフォーマーは、蓄積された膨大な販売データをもとに、どの商品が売れているかを正確に把握しています。
そして、売れ筋の商品を自ら「プライベートブランド」として安価に投入し、元の販売者を市場から追い出すという、審判が選手として参戦するような不公平な競争が世界中で問題視されています。
正に軒を貸して母屋を取られるですね。
こうした「デジタル版の独占禁止法違反」とも言える状況に対し、私たちは「したたかな抵抗」を試みる必要があります。
例えば、新規顧客の獲得にはプラットフォームを「ショールーム」として利用しつつ、リピート購入は自社の直販サイトへ誘導する「D2C(Direct to Consumer)」への移行です。
ここでは「単純接触効果」を狙い、独自のアプリやSNSを通じて顧客と直接的な信頼関係を築き直すことが鍵となります。
また、単独で巨人に立ち向かうのではなく、共通の危機感を持つ競合他社と手を結ぶ「集合的な防衛」も有効な手段です。
かつて地図データでGoogleに対抗するために、AppleやUberが協力したように、敵の敵は味方という戦略的アライアンスが求められています。
あるいは中央サーバーレスのメッセージアプリ「Bitchat」のような仕組みが必要かもしれません。
デジタル化の波は、今や生成AIという新たなプラットフォームを生み出そうとしています。
AIに自社のナレッジを学習させることは、再びトイザらスの過ちを繰り返すことにならないか。
私たちは「情報のオーケストレーション(統合)」を行う側になるのか、それとも単なる「楽器(データ提供者)」で終わるのか。
その選択に、企業の生存がかかっています。


エンジニアの視点で見ると、プラットフォームへの依存は「外部APIへの過度な依存」に似ています。
自社のコアロジックをブラックボックスの外部サービスに預けすぎると、仕様変更(APIの廃止や料金改定)一つでシステム全体が死滅する「単一障害点(SPOF)」を抱えることになります。
結局のところ、どの抽象化レイヤーで自社の独自性を担保するかがエンジニアリングとしての腕の見せ所だと感じました。
すべてを自作(フルスクラッチ)するのは非効率ですが、プラットフォームに「デッドロック」されないための脱出戦略(イグジットプラン)を常にコードレベル、設計レベルで持っておくことが、ビジネスの持続可能性に直結するのだと再認識させられました。
あと政府は巨大プラットフォーマーに対して規制をしていかないと大変なことになることを思い知るでしょう。
特にプラットフォーマーが掲げる無料戦略は、無料だからこそユーザーが文句を言えないという後ろめたさがビジネスを増長させています。
政府はこの無料戦略に対して、あえてサービス内容に見合った有料化を義務付けるべきでしょう。
有料になれば顧客として対等となり、競争の不平等を訴えることができるからです。
そうすればあるゆるプラットフォームで自社が販売した顧客情報を販売者が取得でき、自社の直販サイトのURLへの誘導も可能になります。
現在は逆ですからね。
これでは「マタイ効果」で成功している人や恵まれた立場にある人が、その成功や恵みによってさらに注目を集め、機会を得て成功を重ねる一方、そうでない人は機会を失い格差が拡大する現象により格差は増大します。
資本主義社会で唯一勝ち残ったチャンピオン企業は、あらゆる企業を買収し、あらゆるエネルギーとあらゆる天然資源とあらゆる食料と土地と、あらゆる通信手段に加えて、そこに住む人々の生活を手中に収めます。
その国の全ての企業が同族関連子会社となります。
「国家の企業化」すなわち「コーポレート・フェデリズム(企業封建制)」に至ります。
それはワン・テイクス・オール(勝者総取り)であり、法人国家だと言えます。
法人国家にもはや自由選挙は存在せず、すべての政治とすべての経済、すべての司法とすべての軍隊を備えた超企業となります。
資本主義の成れの果てが共産主義です。
法人国家では「法」が「利用規約」に置き換わります。
これは「企業の利益」が最高法規になることを意味します。
国民を守る憲法は事実上消失し、全住民は「市民」ではなく「従業員」または「顧客」として扱われます。
さらに1つの企業がすべての富を独占すると、市場経済はその機能を失います。
円やドルのような公定通貨はなくなり、その企業が発行する「(独自の)社内ポイント」が唯一の交換手段となります。
当然、競争相手がいないため価格は需要と供給ではなく、その企業が「どれだけ住民から搾り取りたいか」によってのみ決まります。
全住民は「市民」ではないため富の再分配は停止されます。
税金という概念がなくなり、すべての余剰価値は企業の内部留保(あるいはトップの資産)として蓄積され続けます。
企業であって国家ではないため選挙は行われません。
小数の老人の取締役達が世代交代せず経営を続けます。
皮肉なことに、完全な独占は資本主義のエンジンである「革新」を止めてしまいます。
なぜなら競争相手がいないからです。
サービスを改善したり新しい技術を開発したりするインセンティブが働かなくなり、技術は衰退し知識は陳腐化し、インフラは老朽化の一途を辿ります。
そのうち自らの重みに絶えられなくなり自壊します。
ロシア、中国、北朝鮮のように。
そして、また皮肉なことに共産主義の成れの果てがリベラルであり自由資本主義だったりします。
共産主義の成れの果てが資本主義であり、資本主義の成れの果てが共産主義なのです。
NVIDIAの売上高や企業価値(時価総額)が、日本の国家予算やGDP(国内総生産)を上回る規模に急成長している今、もはや企業への罰則制裁金では押さえきれなくなっています。
その発端となろうとしているのが生成AIであり、あるいは後の世で第三次世界大戦は「生成AI戦争」と呼ばれるのかもしれません。

