「管理職なんて罰ゲームだ」と感じる若手が増えているらしい。
なぜ多くの人が管理職への昇進を避けるのか、その心理を自分なりに分解してみた。
調査によれば「自分は管理職に向いていない」「仕事量が増え責任が重くなる」「出世に興味がない」といった理由が並ぶ。
よく考えると、どれも“なんとなく大変そう”というイメージに強く引っ張られている気がする。
管理職は「自分で考えて動く主体性」が求められるというけれど、そもそもその主体性とは何かも曖昧だ。
主体性=ジャングルに道を切り開くイメージ、自主性=与えられたコースをゴールに向かうイメージ、という違いはとても納得した。
確かに、正解が決まっているなら「やれ」と言われてやるので済む。
ところが、未踏の課題に向き合い正解を自ら導き出し、周囲を巻き込む力まではお題目だけでは身につかない。
企業の対策として業務量の削減やITツールの導入、報酬アップなど色々試みているけど、それだけじゃ管理職になりたいという気持ちには結びつかない。
実態がよく分からず、役割もふわっとしている中で、「自分にできる気がしない」と思ってしまうのが普通だと思う。
問題の本質って“何となく大変・責任重い”という漠然とした不安と、求められる役割がぼやけていることにあるのだろう。
ここでふと、プログラマーの仕事との類似を感じた。
未知の技術や未整理の仕様にぶつかったとき、こっちが正解か分からないまま、とりあえず手を動かして動作を確かめてみる。
リーダーになってもマネージャーになっても、“正解がない中でどう道を切り拓いてチームを前に進めるか”は避けて通れない。
失敗も多いが、トライ&エラーの積み重ねでしか学べない部分が確かにある。
だからこそ、組織の中で「手順通りにやればOK」という自主性だけでは突破できない壁が現れる。
主体的に問題を感じて考え、答えがなくても一歩踏み出してみる。
プログラミングだって、安牌ばかり書いていたら新しい景色は見られない。
管理職もある意味で“未知の領域をプログラムする”仕事なのかも、と思った。
もちろん主体性は生まれつきだけでなく、意図的に育てたり、経験で磨いたりできる。
「自分には管理職は無理」と思う人も、失敗してOKな環境があれば一歩進めるのではと感じる。
自分自身、初めてリーダーになった時は何も分からず手探りだった。
けれど本番でやってみることでしか開けない道もある。
挑戦をちょっと遊び感覚で試せるくらい、現場のハードルが下がるような仕組みづくりが、これからもっと大事になるはずだ。

