選挙シーズンが訪れるたび、静寂を切り裂くように街を駆け巡る選挙カー。
その大音量に対して、赤ちゃんの睡眠を妨げられた親たちの悲鳴や、夜勤明けの市民からの切実な苦情が自治体へ殺到するのは、もはや令和の「風物詩」となってしまいました。
しかし、これほどまでに忌み嫌われ、候補者のイメージダウンにすら繋がりかねないこの手法が、なぜ絶滅せず、むしろ選挙戦略の根幹として君臨し続けているのでしょうか。
そこには、公職選挙法という古い制約と、人間の脳に書き込まれた奇妙な心理学的バイアスが複雑に絡み合っています。


多くの人が抱く「なぜ政策を語らず名前ばかり叫ぶのか」という疑問の答えは、法律の条文の中にあります。
公職選挙法では、走行中の選挙カーで行えるのは「連呼行為」、つまり同じ文言を繰り返すことのみに制限されており、走行しながら具体的な政策を演説することは禁じられているのです。
さらに、日本特有の「戸別訪問の禁止」というルールが、候補者を街頭へと駆り立てます。
諸外国のように各家庭を訪ねて対話することができないため、候補者は自らの存在を物理的にアピールするために、車という拡声装置に頼らざるを得ないのが現状です。
ここで興味深いのが、心理学で「ザイアンス効果(単純接触効果)」と呼ばれる現象です。
これは、特定の対象に繰り返し接することで、対象への関心や親近感が高まるという心理メカニズムを指します。
大阪大学の研究チームが兵庫県赤穂市で行った調査では、選挙カーが自宅近くを通った有権者の投票率が平均の約2倍に跳ね上がるという驚くべき結果が出ました。
特筆すべきは、候補者への好感度が上がっていなくても「投票」という行動には結びついている点です。
200%に跳ね上がるとはビックリですね。
たとえ騒音として不快感を抱いたとしても、投票所に立った瞬間に脳内メモリから最も早く検索されるのは、何度も耳にしたその名前なのです。
一方で、この「連呼」がSNS上で激しい批判にさらされる背景には、単なる騒音問題以上の火種が隠されています。
実は、選挙カーのレンタル費用やガソリン代、さらには運転手の雇用費の多くは、「公営選挙制度」に基づき私たちの血税から賄われています。
自分たちの生活を支えるための税金が、自分たちの平穏を乱す騒音の燃料となっているという構図が、有権者の「強い怒り」を増幅させているのです。
また、デジタルネイティブ世代からは「YouTubeやSNS広告にシフトすれば、コストも騒音も抑えられるはずだ」という合理的な反対意見が絶えません。
しかし、ここには「デジタル・ディバイド(情報格差)」という壁が立ちはだかります。
ネットを駆使しない高齢層という確実な票田を持つ人々にとって、選挙カーは依然として最もリーチ効率の良い「オフライン広告」として機能し続けています。
かつて小泉純一郎元首相が「連呼で地域を回らなければ『楽々当選すると思っているのか』と苦情が来る」と語ったように、選挙カーは「私はこれほど必死に働いています」という熱意を可視化するための、一種の儀式でもあります。
人々は騒音に不安とストレスを感じ、合理的な政策論争がノイズにかき消される現状に辟易しながらも、物理的な「接触」というアナログな引力に抗いきれずにいます。
技術革新が進み、選挙のプラットフォームがデジタルへ移行しようとも、このしぶとい連呼の文化は、法改正という根本的なシステムアップデートが行われない限り、日本の街角を走り続けることでしょう。


個人的には、好感度が上がらなくても投票率が上がるという「ザイアンス効果」のデータに、人間の認知アルゴリズムの脆弱性を感じて少し怖くなりました。
政策関係なし。連呼あるべし、という選挙戦は民主主義としてはどうなのか。
どれだけロジカルに考えようとしても、物理的な音圧と反復による「ハック」には勝てない場合があるということですよね。
そろそろ、この物理レイヤーでの衝突を解消する「法的パッチ」を当ててほしいものです。

