最近、日本の景気回復がなかなか進まない背景には、単なる円安や原材料高騰といった外的要因だけでなく、制度そのものが経済の硬直化を招いているという深刻な問題が見えてきた。
特に、中小企業のオーナー社長が認知症を患った場合、その資産が「保護」という名のもとに凍結され、最悪の場合は会社自体が連鎖的に沈没する。
これがいわゆる「認知症倒産」だ。
近年、この現象が急速に現実味を帯びてきている。
成年後見制度は、一見すると本人の財産保護を目的とした強力な仕組みだが、企業経営との相性は絶望的に悪い。
製造業でも経営者が判断能力を失うと、家庭裁判所が選任した後見人は、会社のための運転資金追加融資などのリスクを原則拒否しがちだ。
その裏には、制度が本来「個人の生活」を守るために設計されていることがあり、「動的な経営判断」には想定外なのだ。
民法上、意思能力が否定されると、経営者は法的な「空白地帯」に放り込まれ、現場は麻痺してしまう。
また、銀行も独自の自主規制で、認知症が疑われるとオーナーの口座を即時凍結することがあり、健全な企業でも倒産に追い込まれる例が後を絶たない。
銀行側もリスクを回避したいのは当然だが、過度な「守りの姿勢」が皮肉にも企業を殺してしまう。
とくにオーナー企業では、社長個人の保証や新規借入、議決権の行使など、経営の根幹が簡単にストップしてしまうのだ。
このままでは、2025年には経営者の3人に1人が70代という日本の構造において、認知症倒産は特異な事件ではなく、必然的な経済危機になるだろう。
その中で「家族信託」が特効薬として注目を集めている。
認知症の診断時点で経営権や資産管理を指定家族に移譲する設計ができ、事業承継の最前線では「唯一の防波堤」とまで言われる。
ただし、ネット上では「高額なコンサル料目当てのプロパガンダだ」と批判の声もあり、家族間の信頼が破綻すれば新たな争いの火種(=争族)にもなりかねない。
万能ではないのは明らかだ。
バブル崩壊後からの長期停滞「失われた30年」には、制度の硬直性や資産の死蔵が大きく影響している。
いま、日本は人的資源が「不良債権化」し、345兆円にも及ぶ巨額の資産が「死金」になる危機を迎えている。
このまま「個人の保護」だけに偏重すれば、経済継続とのバランスが崩れ、「認知症倒産」が増えて多くの人や会社が悲劇に見舞われる。
制度設計のパラダイムシフト、個人保護と循環経済の両立を真剣に考えるべき時が来ている。
個人的に、システムやプログラム設計にたとえるなら、この問題は「異常系イベント」に対する設計思想の限界を露呈していると感じる。
本来、利用者保護を考えた制御フローが、現場の柔軟な意思決定や経営の動的判断を阻害し、社会全体のリソース循環を停止してしまう。
「念のための例外処理」がかえってシステム全体を停止させるようなもので、想定外のパターンにどう耐性を持たせるか――この設計思想の見直しが、経済制度全体にも求められているのではないだろうか。

