世界経済フォーラムの壇上で語られたイーロン・マスク氏の展望は、福音であると同時に、ある種の人々にとってはディストピアの幕開けを予感させるものでした。


2027年末までに人型ロボット「Optimus」を一般販売し、2030年にはその数が人類を凌駕するというシナリオは、モノとサービスが溢れる「飽和」した経済をもたらすと喧伝されています。
しかし、この「遍在(どこにでも存在すること)」するロボティクスという概念は、労働の価値を根底から覆す破壊的な力を秘めています。
心理学には、能力の低い人間が自らを過大評価する「ダニング=クルーガー効果」という言葉があります。
マスク氏が過去に自動運転の実現時期を何度も後ろ倒しにしてきた「エロン・タイム」と呼ばれる前例を鑑みれば、今回の予言もまた、技術的な「ボトルネック(全体の進行を遅らせる要因)」を過小評価した楽観主義の産物ではないかという冷ややかな視線がSNS上で飛び交っています。
特に、テスラの完全自動運転(FSD)を巡る米当局の厳しい調査や、事故発生時の「責任分界(誰がどこまで責任を負うかの境界線)」がいまだ曖昧である事実は、彼の語るバラ色の未来に冷や水を浴びせています。
人々の心に渦巻くのは、19世紀に機械を打ち壊した「ラッダイト運動」を再燃させかねないほどの強い憤りです。
ロボットが人口を上回る社会とは、低賃金労働者が真っ先に切り捨てられ、富がプラットフォームを握る極少数の特権階級に「遍在」する格差社会の完成を意味するのではないか。
また、老化のメカニズムを解明し「中心となる生物学的な時計」を止めようとする試みは、社会の「新陳代謝(古いものが新しいものへと入れ替わる仕組み)」を阻害し、既得権益層が永遠に君臨し続ける硬直した世界への不安を増幅させています。
さらに、人間並みの知能を持つAIの登場が2026年末に迫っているという予測は、SF映画「ターミネーター」のような、人類が制御不能な知性に駆逐されるという根源的な恐怖を煽ります。
マスク氏は「用心深くあるべきだ」と警鐘を鳴らしつつも、AI開発に不可欠な膨大なGPU(演算処理装置)の確保に血道を上げているという矛盾した事実は、技術競争の狂騒を物語っています。
大規模な太陽光発電による電力確保の提案も、スペインやシチリア島の豊かな自然をパネルで埋め尽くすという環境破壊への懸念を呼び起こし、中国製セルの関税撤廃を求める姿勢は地政学的な火種を内包しています。
「悲観的で正しいより、楽観的で間違っているほうがよい」という彼の座右の銘は、一見前向きですが、それは深刻なリスクから目を逸らす「正常性バイアス」を助長しかねない危うさを孕んでいます。
供給網、すなわち「サプライチェーン」の構築や、ロボットが日常生活に溶け込む際のプライバシー侵害など、解決すべき課題は山積しています。
技術の進歩がもたらすのは、人類を労働から解放するユートピアなのか、それとも人間が「鋼鉄の隣人」に居場所を奪われる冬の時代なのか。
2027年という数字は、もはや遠い未来の夢物語ではなく、私たちのすぐ隣にまで迫ってきています。



エンジニアの端くれとして見れば、マスク氏の「2027年販売」というコミットメントは、正直なところ「デバッグも終わっていないコードを本番環境にデプロイする」ような危うさを感じます。
特に人型ロボットの「エッジケース(予期せぬ例外状況)」への対応は、複雑な都市環境では無限に近いパターンが存在します。
それは彼が買収したXの仕様がクソであることからも分かります。
前進する彼にとって障害とは路傍の石なのでしょう。

